小島慶子が考える:「女子アナ」が女性の勝ち組モデルである限り、日本の女性が負け組であり続ける理由

日本中の職場から「女子アナ」が消えるまで
小島慶子 2025.03.03
誰でも

少し前まで、アナウンサーは女性が活躍できる憧れの仕事と思われていました。今もそんなイメージを持っている人も多いでしょう。知名度も年収も気位も高い勝ち組女性のイメージがメディアで広められ、定着しています。

私は「女子アナ」は日本の女性に求められる役割の典型だと思っています。あなたの身近にもきっといる、ちっとも珍しくない存在です。後述するように、その誕生の経緯からしてどこの職場でもあり得る話なのです。そして「女子アナ」的なポジションが勝ち組とみなされる限り、日本で生きる女性の立場は良くなりません。だから私はずっと「女子アナなるものは滅びよ」と言い続けています

「女子アナ」がちっとも珍しくない存在だと言っても、腑に落ちないかもしれませんね。

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ジェンダー平等、DEI、発達障害、子育て、夫婦関係などについて多くの連載や著書があり、メディア出演や講演活動を通じて言論活動を行っているエッセイストの小島慶子が、現在起きている社会事象について、実体験を通じて独自の視点で考えるコラムを配信。時事問題だけでなく、長い時間軸で捉えた社会のあり方やこれからの幸福論、近況なども綴ります。

「女子アナ」誕生のきっかけは女性の正社員化

もちろんアナウンサーの仕事には音声表現などの高い技術が不可欠で、取材や共演で著名な人たちに会う機会もあります。大手放送局の正社員であれば、待遇面も恵まれています。その点では特殊な仕事です。一方で、どのような役割を期待されているか、どのような扱いを受けているかという視点で見ると、女性のアナウンサーは画面の中で、日本の多くの働く女性の置かれている立場を体現しているのです。

研究によると、「女子アナ」という言葉が世に広まったのは、1980年代のフジテレビからだそうです。それまで同社の女性アナウンサーは契約制か嘱託で数年で退職し、出番も少なくニュースも読ませてもらえなかったといいます。それが80年代に組織と採用のあり方が変わって女性アナが正社員になり、幅広いジャンルの番組に出演できるようになりました。早期退職する契約や嘱託ではなく、正社員として長く働けるようになった女性アナの活躍の場を増やそうとして、若い女性アナウンサーを積極的に起用する流れができたというのです。それがあの「女子アナブーム」だったのですね。フジテレビは女性アナウンサーをアイドルのように売り出し、彼女たちは瞬く間に大人気になりました。その際に、女性アナに対する社内の呼び名「女子アナ」が男性週刊誌などによって世間に広まったのだそうです。今では一般的な職業名だと思っている人も多い「女子アナ」は、フジテレビの内輪の呼称だったのですね。運動部の「女子マネ」と同じような呼び方で、気軽に呼び出せる女の子という意味合いを感じさせます。アナウンスのプロに対する敬意は感じられません。

ではなぜ「女子アナ」はブームになったのでしょうか。

彼女たち自身の魅力に加えて、時代の空気もあったのでしょう。時はバブル。男女雇用機会均等法が施行され「女性の時代」とも言われました。「キャリアウーマン」と呼ばれた有名企業の正社員として働く女性たちは、当時は今以上に珍しい存在でした。有名大学を出てフジテレビに正社員採用された女性アナウンサーは、学歴や待遇面ではまさに時代の先端を行くバリバリのエリートです。しかも容姿が整っており、おしゃれな服を着てきれいにお化粧して、天気予報やニュースをスラスラと読みあげる。ところがバラエティ番組に出ると、彼女たちはどこにでもいる女子大生みたいに隙があり、誰でも読める漢字を読み間違えたり、芸人に頭を叩かれたり、おっちょこちょいを繰り返す愛嬌のある女の子なのです。

当時、テレビを見ながら「あんな子がうちの職場にもいたらなあ」とか、「あんな子と合コンしたいなあ」と思った男性は多いでしょう。女性たちも、職場で人気の同僚の姿を彼女たちに重ねたのではないでしょうか。学生だった私にも、男性並みの待遇と女性としての華やかさを両方手にしているアナウンサーは”すべてを持っている”女性に見えました。当時の私は、女性のピークは20代だと思っていました。その”一番いい時期”にあんなキラキラした場所にいられるなんて最高だな!と思ったのです。自身のジェンダーバイアスには全く無自覚でした。それに気づいたのは、局アナとして働き始めてからです。

希少なエリートキャリアウーマンでありながら、人気者の華やかなOLとして人々の注目を集めた女性アナたち。視聴者はテレビ画面を通じて、テレビ局の社内をのぞいているような気分になったことでしょう。テレビスタジオという職場で楽しそうに働く彼女たちの様子は、視聴者にとって芸能人よりも身近で、自身の生活を投影しやすかったのかもしれません。人気アナたちは、青年実業家やプロ野球選手など、当時のお金持ち男性と華やかな結婚式を挙げて話題になりました。職場でモテモテ、世間で大人気、その上お金持ちと結婚なんて、女の完全勝ち組じゃん!と思った人も多いでしょう。それと同時に、玉の輿を狙って計算高く振る舞うあざとい女たちというイメージも作られました。

「女子アナ」ブームは女性の地位を向上させたのか

でも、そもそも正社員化した女性たちの活躍とは、アイドルになって玉の輿に乗ることなのでしょうか。そうではないはずですよね。女性アナ積極起用のきっかけは、嘱託や契約から正社員になって長く働けるようになった女性が活躍する場を増やそう、ということだったはずです。ではそれから35年以上経った今、キャリアを積んだ女性アナたちがどれほど活躍しているでしょうか。あのブームで輝いていた女性アナたちは、ニュースキャスターや司会者として30代、40代、50代を第一線で活躍できたのでしょうか。フジテレビ以外の放送局でも同様です。女子アナブームに乗って若い女性の出番は劇的に増えましたが、いま熟年の女性アナたちがどこでもたくさん活躍しているでしょうか。男性アナや男性キャスターには白髪やしわや抜け毛が目立つ年齢まで現役の人が珍しくないのに、その歳になるまで第一線で画面に出ている女性アナやキャスターはほとんどいません。

前回、アナウンサーとして働いている女性にもいろいろな立場があり、待遇面、雇用面で非常に弱い立場で画面に出ている人が大勢いることに触れました。現在アナウンサーという肩書きで働く人は男女合わせて31万人ほどいますが、そのうち正社員は2割あまりです。また、女性が”活躍”できるイメージの強い仕事ですが、テレビに限って言えば画面で女性が男性よりも”活躍”しているのは20代まで。30代以降は急速に画面から姿を消していきます。政府が行った芸術・芸能分野の労働実態調査では、セクハラ被害にあったことがあると回答した人は、声優・アナウンサーで25.7%。仕事を外されるかもしれないという不安から、被害を言い出せずにいる人も多いはずです。

これが35年余前の”女性活躍”の結果です。あのお祭り騒ぎのたどり着いた先が、今回のフジテレビの事件だとはあまりにも皮肉な話です。被害にあった女性の人権が軽視され、女性アナウンサーの働き方が問題視されています。35年前に「女子アナ」たちがキラキラして見えたのは、当時の女性にとって経済的自立や社会的地位を手にすることが至難の業で、女性アナウンサーはまさに現代のお姫様のように見えたからでした。そして今も女性が正社員として働くのは容易でなく、多くの女性は雇用が不安定で収入も低く、結婚によって経済的な階層を上げる他に選択肢がないことに変わりはありません。変わったのは、女性アナたちが一部のエリートではなくなったということです。今は画面に出ている彼女たちの大半もまた、弱い立場で働く人たちです。この35年余りでいったい女性を取り巻く環境の何がよくなったんだ、誰のための「女子アナ」ブームだったんだと、心底腹が立ちます。

それは活躍ではなく女性搾取

”女性活躍”の落とし穴の典型が、ここにあります。女性活躍と聞いて、いまだに脊髄反射で「職場の華としてチヤホヤする」とか「注目の人物として祭り上げる」という策を思いついてしまう人のなんと多いことか。その前提にあるのは、活躍している女性🟰お姫様というイメージです。「美人でモテモテで愛されキャラの人気者」にしてあげるのが女性を活躍させることだと思ってしまう。あなたはどうでしょうか。女性に親切にしようと思って容姿を褒めたり、女性を喜ばせようとして若く見えますねと言ったり、女性にチャンスをあげるつもりでアイドル扱いしたり、重要人物との宴席に華やぎ役として同伴したりしていないでしょうか。それは女性活躍ではありません。女性を鑑賞物のように扱い、男性やエラい人への捧げ物として都合よく利用するのは、女性の搾取に他なりません。たとえその場では女性が得をしているように見えても、決して活躍推進ではないのです。

女性でも若い人でも、その人は他の人と同じように大切にされるべき人間です。仕事の活躍の場を与えるなら、その人が能力を発揮しながら熟年期まで長くキャリアを積めるよう、何度でもチャンスを与え、正当に評価すること。「女性ならではの感性」「女性としての視点」ではなく、その人ならではの視点と経験を尊重すること。「自分らしく輝く」などの曖昧な言葉でやりがい搾取のケアワークを押し付けるのではなく、人間らしく働けてまっとうな対価をもらえる安定した仕事を与えること。それを可能にする制度を整え、男性と同じだけのお金を支払うこと。それが本当に必要な「女性活躍」です。過去の政府の施策を見ても、本気で取り組んだ人はいたのでしょうか。なぜ35年以上経っても「女子アナ」的な女性が勝ち組のように言われるのでしょうか。男性や目上の人を気持ち良くさせる女の子を演じて、稼ぎのいい男性との結婚を手にするのが唯一の「女性の幸せ」モデルである限り、女性は社会的弱者であり続けます。私は「女子アナ」なるものに1日でも早く滅びて欲しいです。そんな役割を女性に求める社会も、女性がそんな役割に甘んじて生き延びるしかない現実も、もう終わりにしたい。誰でも安心して働けて、権利を尊重され、何歳になろうと一人で自立して生きていける世の中にしたいです。

あなたの職場にも、きっと「女子アナ」がいるはず。大学の運動部にもゼミにも、高校の部活や中学の生徒会にも。親戚の中でも家庭でも、無意識のうちに誰かに「女子アナ」役を求めてしまっているかもしれません。どうせ一緒に働くなら、生意気な女よりも可愛げのある子がいいと思っていないでしょうか。女性は男性を気持ち良くお世話してあげるのが賢い振る舞いだと信じていないでしょうか。職場で若い女性を「女の子」と呼んでいないでしょうか。仕事の会食で職場の女性にお酌をさせたり、男性の送別会で「若い女の子」から花束贈呈させたり、社内向け動画で「やっぱ映るなら若い子がいいよね」と若手女性を案内役にしたりしていないでしょうか。それが女性を取り立てる”女性活躍”だと思っていないでしょうか。あなたの周囲で職場の華や男性の補佐役として重宝されている女性たちは、果たして30代以降もキャリアを積むチャンスに恵まれ、責任ある仕事を任されているでしょうか。

テレビに出ていなくても、日本で女性をやっていると日常的に「女子アナ」役を求められます。だって元々、どこにでもあるような同質性の高い男性ばかりで作られる日本的職場の女性社員をテレビ画面で「活躍」させたのが始まりだったのですから。今回のフジテレビの事件は特殊な事例ではありません。内輪のノリで視野狭窄に陥り、働く人の人権を軽視し、女性を対等な存在と見做さない職場の風土が引き起こした事件です。あなたの会社にも同じ土壌はあるはずです。あなたがこれまで自然と身につけてきた女性に対する扱いが「女子アナ」的な役割を再生産し、女性を消費し搾取する習慣を強化しているかもしれません。あなたがどんなジェンダーであってもです。この社会で女性の置かれている立場が変わらない限り、私はこれからも「女子アナ」の話をし続けます。次回は、アナウンサーをしている女性が実際どんな人たちなのか、私の経験からお伝えします。


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