小島慶子が考える、フジテレビ問題と「女子アナ」消費とは
昨年「theLetter」の存在を知り、今月から私も始めることにしました。読者の方々との新しいつながりの形としてニュースレターをスタートします。どうぞよろしくお願い致します。その時々の社会事象について、また私生活の近況についてもお届けします。
昨年末から今月にかけて大きな話題になっている、フジテレビの問題。私も複数のメディアの取材を受けました。被害を訴え出た女性にフジテレビが適切に対応しなかったことは、ビジネスと人権の観点から見て非常に深刻です。また、週刊誌報道やネットの憶測では「女子アナ」が話題になりました。フジテレビ問題と「女子アナ」消費について、大事なポイントを見落とさないよう整理して考えることが大切です。
この問題が報道されてから、複数の人に「小島さんは接待とか、どうだったの?」と尋ねられました。その度に「この人はどうであって欲しいと思っているのかな?」と、興味津々のお顔を見つめて考えました。この人が聞きたいのは、私がひどい性搾取にあって苦しんだ話なのか、成功のためならなんでもしたという告白なのか、テレビ局や芸能界の仰天極秘情報なのか。
私が何らかの被害体験で苦しんでいるかもしれないと、もし本気で想像したなら「どうだったの?」とは尋ねないでしょう。その人にとって、性被害はファンタジーに過ぎないのです。実際には多くの人がハラスメントや暴力に苦しんでいるというのに。

正直に答えても、きっと「本当のことを隠している」と思われることもわかっています。どうしたって「女子アナ」には裏があって欲しいのでしょうから。「どうだったの?」と尋ねる人は、私の話を聞きたいのではありません。自分が信じたいストーリーを、より本当らしくする何らかの材料が欲しいだけです。「小島慶子に直接聞いてみたらきれいごとを言っていたけど、あれは嘘だな!」と人に話せば、本当にそんな気がするのでしょう。憶測が事実らしい生々しさを帯びて、話を聞いた人の野次馬心も満足するはずです。
働く人は大切にされるべき存在
さて、あなたの頭の中の女性アナは、どんな人でしょうか。その人はあなたの欲望が作り上げたイメージであり、あなたが無自覚に女性に向けている眼差しを物語るものです。あなたが男性でも女性でも、女性の権利に敏感でも、あなたはいつも無意識のうちに「イヤな女」を欲しています。私たちにはミソジニーが染み付いているのです。この社会で生きる限り、繰り返し、それこそ毎日のようにメディアで学習していますから。では女性嫌悪は誰の利益になるのか、誰がその物語を語り続けているのか。なぜ人々は「女子アナ」ネタが大好きで、女性アナが大嫌いなのでしょう。所詮は見せ物として楽しんでいるのでしょうか。
私は、生身の人間です。「女子アナ」というコンテンツではありません。会社員だった頃も、独立してアナウンサーを廃業してからも、一人の働く人として他の人と同じ権利があり、一人の人間として等しく尊重されるべき命を生きています。他人からどう見えようと、メディアでの印象がどうであろうと、私は人間らしく、安全に、守られた立場で働く権利があり、尊重されるに値する存在です。あなたがそうであるように。
1980年代末から盛んに消費されてきた「女子アナ」というコンテンツは、この社会で女性がどのような扱いをされているかを象徴しています。そしてフジテレビ問題は、この社会で働く人がどんな扱いを受けているかを示しているのです。
と、ここまで綴ってからでなんですが、私の経歴をよくご存知ない方もいらっしゃるでしょう。
私は1995年から2010年まで、東京の大手放送局TBSで働いていました。正社員としてアナウンス業務をもっぱらとする、いわゆる「局アナ」です。会社員であり、正確な日本語と音声表現のプロであり、放送という公器を預かり誤情報の拡散を防ぐ門番であり、かつ番組を楽しく盛り上げる出演者でもある立場で(ずいぶん役割が多いですね)、テレビとラジオの仕事をしていました。また労働組合の執行委員を9年間、そのうち7年間は副委員長を務め、今でいうところのワークライフバランスに関する制度改善やメンタル疾患休職からの復帰の仕組みづくりなどに携わりました。
ですから私にとって、働く人の人権やジェンダーに関する課題は身近な問題です。放送局という職場の風土やテレビ業界の構造、さらに出演業務を行う人たちに対する社会の眼差しは、特殊な問題に見えます。でもそれはまさに、日本の労働文化や働く人の扱われ方の問題でもあるのです。私は「女子アナ」という俗称(蔑称)で呼ばれる仕事をしていましたが、「女子アナ」に求められる役割や彼女たちが置かれている立場は、日本の多くの女性が置かれている立場と共通しており、それがテレビの中で可視化され商品化されたものであると言えます。
同質性と内輪のルール
特権的な「女子アナ」と一般の女性を同じにするな!と思うかもしれませんね。確かに大手放送局の社員アナは、待遇面で非常に恵まれています。けれどそのことは、彼女たちの人権や尊厳が軽視されていい理由にはなりません。そしてアナウンサーとして人前に出る女性たちの中にも様々な立場の違いがあり、非正規雇用やフリーランスなど、厳しい条件で不安定な働き方をしている人が大半であることを知って欲しいです。立場が弱く、ハラスメントなどの被害を受けても泣き寝入りをせざるを得ない人がたくさんいるのです。それが「女子アナ」という呼称で一括りにされ、「鼻持ちならない軽薄な女たち」という繰り返しメディアで描かれてきた人物像で語られています。あなたも、もしかしたらそんな先入観を持っているかもしれませんね。
どんな職業も、偏見で「この仕事をする人はきっとこんな人に違いない」と決めつけてはいけませんよね。そしてどのような立場の人も、暴力や人権侵害の被害に遭うことがあります。被害を誰にも言えずに苦しんでいる人もいます。フジテレビ問題に真剣に怒りを覚えるのなら、被害者探しや憶測の拡散はするべきではありません。事実かどうかわからない報道を見て「やっぱり裏があったんだ!あの人はどうなのだろう」などと興奮するのは、女子アナゴシップ消費そのものです。アナウンサーだけでなく、あなたの身近にも被害を受けた人がいるかもしれません。詮索は暴力になりうることを自覚して、怒りの扱いと矛先を間違えないようにしなければならないのです。
フジテレビの事件では、働く人の人権が蔑ろにされました。重要なのは企業の責任を問い、事実を検証して明らかにすること。そして日本中の職場で同様のことが起きていないか調べ、対策を講じることです。この問題は、一企業の起こした問題であると同時に、人権尊重に本気で取り組んでこなかったテレビ業界の風土の問題です。かつてジャニーズ事務所の児童性加害をテレビ局やメディア業界が長い間黙認していたことや、女性記者の性被害が救済されなかったこととも地続きなのです。テレビ業界が働く人の人権を守るという大原則を徹底しなければ、今後もまた同じようなことが起きるでしょう。
これは、テレビ局や芸能界という特殊な世界だから起きたことではありません。同質性の高い集団が内輪のルールで意思決定をする職場では、どこでも起きうることです。あなたの職場ではどうですか。誰かが泣き寝入りを強いられていませんか。若い人や女性をおもちゃや飾り物や、得意先を喜ばせる捧げ物のように扱ってはいませんか。理不尽なことが行われているのにみんなで見て見ぬ振りしていませんか。半径5メートルの職場をよく見れば、ネットニュースの世界が決して他人事ではないと気づくでしょう。
それにしても40年近くもの間、なぜ「女子アナ」なるものがゴシップ記事やテレビ画面でお馴染みであり続けているのでしょう。いったいいつ、誰が、何のために言い始めた言葉なのか、こんなに長い間繰り返し消費され、典型的なイメージが浸透しているのはどうしてなのでしょう。そして生身の女性アナウンサーは、実際どんな人たちなのでしょうか。それを知ると、たかが「女子アナ」が日本社会の普遍的な問題と深く関連していることがわかってきます。次回もこの問題について考えます。
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